
前記したようなディスコ通いも落ち着きTOKIOの街にも慣れてきた頃、オヤジもヘヴィで汚い工事現場などのバイトを卒業し、西麻布にあったファッション関連のアトリエでスタイリッシュでシュッとしたバイトをすることになっていた。
西麻布、広尾といえば当時から超高級住宅街でありファッション関係や芸能人などの多い言わばセレブのおしゃれスポットのようなエリアだった。
そんなエリアに、ちょっと非現実的?で夢のような癒しの空間が存在していた。
アンナミラーズ!!通称アンミラ(決してアンミカではない!)
ご存知の方はあの、ドイツの民族衣装がルーツらしい なんとも言えないダサ可愛いスタッフの制服を思い出してくれるだろう。
一級建築士の今竹翠さんが店舗も制服もデザインし、ジャガードニットが代表的な“フィッチェ・ウォモ”のデザイナー ドン小西がディレクション?したとも言われ、あの制服が着たくて当時アルバイトしていた芸能人も多かったという伝説を持つ。
あの制服の魅力、いや魔力については長くなるのでイラストにしたので察してほしいが、何せバイトの先輩たちが広尾のアンミラの常連(あくまでも先輩たちのせいにするが)で、その度にあの居心地が良いのか悪いのかわからないフワフワした空間で、美味しいのかおいしくないのかわからない おかわり自由の珈琲やチェリーパイを食べ、なぜかふんわりと心地よかったこと。
先輩にどのタイミングで誘われても断ったことはなかった(それでもやっぱり先輩たちのせいにするが)記憶だけはある。
今 思えば、乱痴気でドンちゃん騒ぎな時代、バブル景気へと向かうギラギラした真っ只中、都会のオアシスのような存在だったのかもしれない。
ファンというより今で言う“推し“のような感覚かもしれないがそれぞれに推しのスタッフ(胸に名札を付けていた)がいてオヤジの推しは控えめだが気配りができて、たまにしか見せないはにかんだ笑顔がめちゃくちゃキュートな『YUKI』ちゃんだった。(もう完全に先輩たちのせいにはできなくなってしまったが・・汗)
ちなみに当時のオヤジのファッションといえば、カラス族やDCブランドからインポート・カジュアルへ ライダースよりかなり上品なデザインのフロントジップのレノマ(フランスブランド)のレザージャケットに自転車に乗るためにデザインされたち言われるクローズド(イタリアブランド)のペダル・プッシャーパンツに、ヴァンズ(アメリカブランド)のスニーカーが定番だった。
『なんとなくクリスタル』(1980:田中康夫)の影響もあってかドメスティックブランドからちょっと背伸びしてインポートブランドがカッコ良い気分だった。
同じ80年代『ノーパン喫茶』や、挙句の果てには『ノーパンしゃぶしゃぶ』などという不適切極まりないお店も一斉を風靡したが、今の若者に話しても信じてもらえないだろうな・・・
機会があればこのあたりも、いつか触れてみたいところだが今回はこの辺りで。